新しいかたち

往復書簡二十四通目

間人の海の風景 


前略 菊川博子さま

朝夕にやっと秋の訪れを感じるようになった今日この頃いかがお過ごしでしょうか?

この夏は前回菊川さんから届いた手紙の最後にあった「真の豊かさはなんだと思いますか?」の問いかけの答えをずっと探し求めていたような気がします。自然の中でテーブルを整え美味しい食事やワインを楽しむ、それは私がもっとも豊かだと感じる光景。「まさに送ってくれた写真が私の理想の豊かさです」では手紙が終わってしまいますね(笑)。

菊川さんは”間人”という地名を聞いたことがありますか?私は最初なんて読むのだろうと首を傾げ、読み方を聞いてから「ああ、たいざ蟹の!」となったのですが、8月にそこで様々な分野で活躍中のクリエーターたちが中心となっているイベントが開催されました。

しかしこの場所、関西人をもってしても訪れるにはかなり不便な場所にあります。京丹後市に位置する間人は日本海に面する小さな漁村で私も今まで訪れたことはありませんでした。けれどこのイベントの内容がたいそう魅力的であること、またアート中之島にも出展いただいている作家の展示もあることから「なにがなんでいくぞっ」と早い段階から心に誓っていたのです。

メイン会場は2000年以上神域として守られている森(杜)がある由緒正しき神社。イベント期間中は普段は立ち入ることのできないこの森に作品が展示されており、ガイドツアーも開催されていました。私が訪れたその日は予想していたほどの暑さに見舞われることもなく、深く美しい緑の中、呼吸をするたびに辺りに漂う良い空気が体中に流れていくようで、心身ともに浄化されるような素晴らしい気に満ちた神社でした。人間の領域ではない場所というのが私たちの周りに確かに存在するのだと体感したような気がします。

神社から少し車を走らせると素晴らしい海景が目の前に広がり「あ〜こんなところに別荘があればなあ」などとふと思ったのだけれど、それは夏の一日を過ごした人だけが持つ軽い感想なのかもしれません。冬を迎えるころには厳しい寒さがこの土地にやってきて、夏に見た海の景色とはまったく違う表情を見せるのでしょう。けれどそれをもってしてもこの場所の持つ魅力が損なわれることはないのだと思います。だって寒さと引き換えに蟹を含めた豊富な海の幸に恵まれるのですから。

さてここからが真の豊かさとは?に関係してくるのですが、イベント関係者がふともらした一言に考えさせられることがあったのです。最初に断っておきますが、イベント関係者や地元の高校生ボランティアの皆さんはとても感じがよく、暑い中熱心にこのイベントを盛り上げようとなさっていて、とても心地よく楽しいひとときを過ごすことができました。ですから私がひっかかった一言も単なる一つの事例として話されたのだと思います。その一言とはこども食堂の試みをしているとのお話を伺っている最中に出た「東京と違って子供たちがガパオライスを知らないんですよね」というくだり。

こんなに清らかな空気と日本の原風景といったものを多くとどめている土地で、さらには魚も野菜もお米もとびきり美味しい場所で、比較的最近認識されだした異国の料理に拘ることもなかろうとその時思ったのです。地元の豊かな食材を使って土井善晴氏が提唱されるような一汁一菜メニューの方が食育になるのではないかしら?と。しかもこちらの食堂ではクリエーターたちが手がけた器が用意されています。海や土の恵みでできた食物を新鮮なうちに正しい食べ方でそれらの器で食べる。逆に言えば都会の子供達には味わえない醍醐味です。そういう素晴らしい場所に暮らしていることを誇りに思うように大人たちが教えてあげるべきじゃないのか、などと老婆心ながら考えました。シンプルかつ真っ当な食事と素敵な器、その組み合わせこそ最強ではないですか!

ここで前回の問いに戻ります。菊川さんは自然だけでない”なにか”を加えることが豊かさでは?といったことを手紙の中で書かれていました。クロスを広げてテーブルを作った時に空間が変わったというお話。私も全く同意見です。とれたてキュウリを畑で齧るなんていうのも究極の贅沢ではあるけれどそこは”なにか”もう一つ欲しい。その”なにか”は個々に違っていてその組み合わせ具合がそれぞれにとっての豊かさなのではないかしら。

ここしばらく妄想する事項がなかったのですが最近ちょっと考えました。私が本当に贅沢(豊かさをここからは贅沢という言葉にあえて置き換えてみます)と思うような小さなお宿をプロデュースできたらなんて。最近古い建物を再生して宿泊施設にする試みが増えているようですが、そんなお宿にもう一捻り加えたら本当の贅沢が生まれるのではないでしょうか。そう、私なりの”なにか”です。まずは四季折々にアートを掛け替えること。そして粋な選書が並ぶブックライブラリーがあって、いつでも薫り高いコーヒーが楽しめて、器やリネンはシンプルに、でもこだわりを持って選び、朝食は卵掛けごはん一択でもよし、夜のお食事は地元のお野菜中心にシンプルに調理した献立。数え上げるときりがありません。しばらくはこの妄想タイムで遊べそう。

もし私の妄想にお付き合いしてくれるとして菊川さんならこのお宿になにを加えたいですか?お返事がとても気になるところ。きっとその”なにか”は私の思う贅沢と一致する気がしています。お返事を楽しみにお待ちしております。


 

草々
2022年9月15日

アートアドバイザー 奥村くみ

 

奥村くみ プロフィール

菊川博子 プロフィール

新しいかたち