新しいかたち

往復書簡十通目

IC時代に手掛けたモデルハウス 


前略 菊川博子さま

先日はお疲れ様でした。菊川さんやスタッフの皆さんのご尽力でこのような時期にも関らず無事にイベントを終了することができました。お声をかけてくださったこと、今一度心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。

少人数制のセミナーではありましたが、その分お一人お一人に直接語りかけるような気持ちで、私たちの話をお伝えすることができたのではないでしょうか?物理的な密を避けることで、返って個々の心のつながりが強くなるような、そんな気がしました。

そして昨年のアート中之島の際、とあるコレクターの方が「パンデミック後はこのような小規模のアートフェアの存在が重要になってくるのかもしれないね」と言ってくださり、とても嬉しかったのを思い出したのです。正直、リネンアンドデコールのリネンも私が扱っているアートも最初から多くの人に受け入れられるものではありません。どんなに私たちが良いと思っていても、です。だからこそ心を込めてリネンやアートのファンを少しずつ増やしていくことが大切なのだと、イベントを通じて改めて感じました。

さて今回の菊川さんのお便りにちょっと泣いてしまいました。会社を立ち上げた訳ですから、ご苦労も多くずっと良いことばかりではないとは思っていましたが、大変な時期を過ごしていたのですね。涙が思わず出てきたのは、これまた私の経験とかぶったからでもあります。しかもちょうど年齢的にも同じ頃。

この手紙を私も辛かったと共鳴する気持ちで書き進めていくべきか、カラッと違う話題に持っていくべきなのかちょっと悩みました。仕事というのは誰にとっても時に苦しく辛いものです。ですから私たちだけが大変だったよね、と言い合うのは少し違うかなと思ったのです。でもなぜだか順風満帆と思われがちな私たちの苦労話を語り合うのもいいのかもしれないと、キツかった過去を思い出すことにしました。

アートの仕事を始めたきっかけは日本の住空間に足りないのはアートだと強く思ったから。そしてもう一つは私自身がアートに救われたからです。30代の頃はとにかく膨大な量の仕事を抱え、そこそこ売れっ子コーディネーター(と自分で思い込んでいた)でした。誰もいない会議室の長机に5件分くらいの資料やサンプルをずらっと並べ、その前をキャスター付きの椅子で移動しながら同時に片づけていく、そんな毎日。気づくと3か月近く休みもなく働いていたこともあって、その頃SNSがあったとしたら、私のIG投稿の内容は現場・現場・現場であふれていたことでしょう。誰も見たくないですよね、そんな投稿(笑)。


最初は順調だった仕事もいろんなことが重なって上手くいかなくなり、さらにはプライベートでもちょっとした問題を抱えるようになりました。当時の私はお客様に作り笑いをする以外笑うこともなくなっていたらしく、いろんな人から完全に形相が変わっていたと後から聞かされました。その頃の私の奇妙な行動は今ではIC仲間の笑い話。よく仕事は裏切らないと言いますが私は違うと思います。いとも簡単に裏切ってくれる。徐々にメンタルも弱ってきて、その頃から早朝のジョギングを始め、それに加え泳ぐことも始めました。心を強くするには体を鍛えなければならないと本気で思ったのです。

ちょうど同じタイミングでアートと深い関わりをもつようになりました。もちろんずっと美術館に行くのは好きだったけれどもっと身近に触れる機会が増え、数年に渡る多くの嫌な出来事で澱のように心にたまった邪悪な何かがアートの力によって徐々に消えていくような気がしたのです。(この辺り少し本でも書きました)今の仕事のアイデアが浮かんだ時、すぐにインテリアコーディネーターを辞めることを決めました。インテリアの仕事に見切りをつけて早く次の段階に進みたかったのです。けれど周りからは当然ながら大反対され、さすがに私もちょっと冷静に考えてみました。

今、アートの世界に飛び込むということはインテリアの世界で”負けて”行くわけだよね。どうせなら”勝って”から行きたいよねって。

そしてコーディネーターとして”勝って”次に進むため、もうしばらくインテリア業界で頑張ることに決めました。腹を括った途端、打ち上げ花火のように良い仕事が舞い込み、素晴らしいお客様にも恵まれ「このままインテリアの仕事を続けてもいいのかな?」そんな考えが頭をよぎった時に「今だ!」と思ったのです。今なら”勝って”アートの世界に飛び込めると。

飛び込んだもののアートの仕事もインテリアのそれと同じくらい大変で、ずっと茨の道を歩み続けています。何年経ってもインテリアから来た人は受け入れてもらえない世界で頑張り続けるのはしんどいものです。けれど多くの困難な現場で鍛えられた根性はそんな状況の中とても役に立つ(笑)。こうやって書いてみると、その時の辛かった思い出も今では心のどこかでかすかにチクッとするくらいの痛みでしかありません。そして同じように大変な30代を過ごした菊川さんとの往復書簡でネタとして使えるのですもの。意味がある苦労だったのですね。

そんなこんなで私たちは前に進むしかないのです。止まることなく進み続けること。少しでも日本のHOUSEをHOMEにするために。

さて奈良のスピーカーとは12面体スピーカーのsonihouseかしら?ここ数年奈良でもたくさんのクリエーター達が活躍し面白い仕事をしています。奈良のお話は今月の「こぉと」でのイベントの後にでも。明日香の土地で楽しみにお待ちしています。
 

草々
2021年6月10日

アートアドバイザー 奥村くみ

 

奥村くみ プロフィール

菊川博子 プロフィール

新しいかたち