最後の任務

約100年の時の流れを見てきた京都の義祖父母の家が解体されることになり、11月の半ば、最後のお別れをしてきました。主人の幼い頃のアルバムには、この場所で季節の行事毎に親戚が集まり、お庭や茶室で宴を催す楽しそうな様子が写った写真が何枚もありました。きっと思い出のいっぱい詰まった特別な場所だったのだと思います。

私も年に2回は京都へ遊びに行かせてもらい、茶室でのお茶会を楽しませていただきました。お庭を愛で、四季を身近に感じ、以前はあまり興味を持たなかった和の空間にも親しみを持つようになりました。

写真は数年前のお正月の風景。深々と雪が降り積もる寒い日で、お庭は一面の銀世界。心が澄んだ気持ちになったことも懐かしい思い出です。

昭和13年に建てられた萱葺屋根の茶室は水無瀬離宮の茶室を模し宮大工により建てられたものです。なんとかこの茶室を残せないものかと、以前、建物保存と再生法について主人と共に調べていた事があります。しかしそれはとても難しい事だという現実も知りました。

少しさみしい気持ちをそっと胸にしまいながら、集まったこの日の私達の最後の任務は、襖の紙をはがずこと。思い出のかけらを手元に置きたいという叔母達の願いを叶えるために、今回はカッターを持参で訪れました。

襖をはずし、切込みを入れ、この家の為だけに作られた京唐紙を丁寧に剥がすと・・・

見たこともない下地が現れてきました。なんだかカッコいい。書出帳の古紙が隙間なく貼られ、昔はこのように襖の紙は貼られていた事を叔母に教えてもらいました。

別の部屋の襖には、琉球紅型が施された芭蕉布。こちらは平良敏子さんが布を織り、城間栄喜さんの紅型。訪れるたびに先ずお線香をあげていたこの部屋の襖が平良敏子さんの芭蕉布だったとは、びっくりです。戦前沖縄から移住して京都に生活の足掛かりを築くこととなった一家は、長く故郷との交流も続けてきました。

思い出のつまった京唐紙と芭蕉布を叔母達は嬉しそうに持ち帰りました。我が家にも持ち帰った芭蕉布は表具師に剥がし作業をお願いし、額装をする予定です。建物も庭も今はもう有りませんが、叔母達が長い年月愛着をもって生活をし、庭の花を生け、小さな畑の野菜を食卓にあげ、一日一日を大切に過ごす様子を今まで見ることができました。かけがえのない大切な事を教えてもらった気がします。

帰りのスーツケースは持ち帰った漆器や陶器達で一杯。そのお話しは、漆器の塗り直しが仕上がる半年後にまた。